不忍池からほど近い場所にある
旧岩崎邸庭園
は岩崎家の本邸として
建てられた明治期の建造物だ。
ジョサイア・コンドル
設計によるトレードマークの洋館などの建物類は3代目の
岩崎久弥時代のものであるが、
この土地は弥太郎が舞鶴藩牧野氏の
屋敷地を購入したものであるという。
旧岩崎邸庭園
の敷地に隣接して三菱史料館がある。
三菱経済研究所という組織の付属施設らしい。
なんでも、三菱創業125年を記念して平成8年開館した建物だとか。
館内では、岩崎弥太郎にはじまる三菱の歴史がゆかりの品や史料と共に
展示、解説されている。
旧岩崎邸庭園
とセットで見るのが良いかもしれない。
丸の内界隈は、岩崎弥太郎が明治政府から払い下げられた土地をオフィス街として開発した場所だという。
現在でも、三菱グループ関連のビルが集まっているエリアだ。
三菱商事、三菱UFJ、日本郵船、明治安田生命保険 などの本社ビルが建ち並んでいる。
2010年にオープンしたこの美術館の建物は、明治期の「三菱一号館」を復元したもので、
ジョサイア・コンドルの設計で建築された当初の姿に再現されているんだとか。
ちなみに、建てたのは三菱地所らしい。
「三菱一号館」は、丸の内でオフィスビルの先駈けとなっ建物で、三菱合資会社の銀行部などが入っていたのだと言う。
元禄の世に柳沢吉保が造営した
六義園
は、大名庭園としては、トップクラスの知名度と人気を誇る観光スポットだ。
古くから江戸二大庭園の一つに数えられた、この名所も明治期には岩崎弥太郎の所有するところとなっていた。
このような、別邸をいくつも持っていた岩崎家は、江戸時代のお殿様をも凌駕するような栄華を誇っていたに違いない。
深川の清澄庭園は、
江戸時代ではトップクラスの知名度を誇る元禄期の豪商紀伊國屋文左衛門の屋敷があったとも言われる場所である。
享保期には、下総関宿藩の下屋敷が置かれ、その時期が庭園のルーツであるらしい。
ここも、財を成した岩崎弥太郎が購入した物件の一つであるという。
清澄から清澄通りを月島方面に進むと東京海洋大学の越中島キャンパスの
敷地が見える。
この海洋大学は、大久保利通が岩崎弥太郎に依頼し、郵便汽船三菱会社が設立した私立三菱商船学校をルーツとしている。
通りから垣間見える「明治丸」は明治政府から商船学校に貸与され練習船などとして活躍していたものだという。