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明治の文豪は夏目漱石は、現在でも最も有名な小説家の一人であろう。
本名は金之助で、お馴染みの“漱石"の名は、親しかった正岡子規の雅号にちなんであるという。
以前は、千円札の人であったし、「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「三四郎」「こゝろ」・・・etc 誰もがタイトルだけは知っている作品を数多く世に送り出している。
漱石は、幕末にの名主の家系に生まれ、 現在の東京大学を卒業、イギリス留学もしているエリートだった。
そして、帰国後には、帝国大学(東大)・早稲田・明治などで講師も務めている。
プロ作家転向に際しては教職を辞して、朝日新聞社に入社と言うのだからやはりエリートだ。
その後も、ヒット作を数多く発表し、“芥川龍之介"など優秀な弟子に囲まれるなど成功を収めるのだが、
しかし、その栄光とは裏腹に、神経衰弱や胃潰瘍などに苦しむ非常にナイーブな一面も垣間見える。
今回は、訪れた先にあった漱石ゆかりのスポットを集めてみたのだが、 実は、注目の人物とした割には、その作品は「坊っちゃん」しか読んでおらず、 しかも、内容はすっかり忘れてしまっている・・・


東京にある夏目漱石ゆかりのスポット

夏目坂通り(夏目漱石誕生の地)

夏目坂 夏目漱石誕生の地碑

メトロの早稲田駅2番出口を出たところに夏目坂という通りがある。
その夏目坂の上り口に「夏目漱石誕生之地」の碑が建っている。
漱石は、幕末、牛込馬場下横丁エリアの名主である夏目直克の
末っ子(5男)として誕生した。
本名は、金之助だとか。
当時の夏目家の繁栄は、地名にも残されており、喜久井町の名は
夏目家の家紋“菊"から夏目坂の名は直克が付けたものだという。

吾輩は猫であるの碑(旧錦華小学校)

吾輩は猫であるの碑

駿河台の明治大学あたりから裏手の猿楽町に回ると
「吾輩は猫である 名前はまだ無い」
と定番のフレーズが記された碑が建っている。
この碑が建っているのは、現在のお茶の水小学校で、その前身は夏目漱石が
卒業した錦華小学校だったのだという。

夏目漱石旧居跡(猫の家)

夏目漱石旧居跡 夏目漱石旧居跡

文京区向丘、日本医大の裏手あたりに夏目漱石旧居跡の案内板がある。
東京帝国大学で教職にあった漱石が「吾輩は猫である」や「坊っちゃん」を執筆した場所であるという。
「吾輩は猫である」の舞台になったことから“猫の家"と呼ばれ、 明治36年3月から3年10ヶ月居住していたとある。

三四郎池(東京大学)

三四郎池

漱石の小説ゆかりの場所ともなれば、当然、数多くあるわけであるが、
“猫の家"からも近い本郷の東京大学にある「三四郎池」もその一つだ。
文字通り、小説「三四郎」の舞台となり、その呼び名が定着している。
なんでも、主人公の三四郎とヒロイン美禰子が出会うのだとか。
本来は、加賀藩前田家上屋敷にあった庭園「育徳園」の心字池の事である。

根津神社

根津神社 根津神社

根津神社も“猫の家"の近所にあり、漱石が足を運び小説に登場させている場所の一つであるらしい。
境内には、漱石や森鴎外も腰掛けたという「文豪憩いの石」なるものがある。

漱石公園(夏目漱石終焉の地)

漱石公園

プロの作家となった漱石は生家に近い早稲田の地で過ごしている。
「漱石山房」と称されたこの場所では「三四郎」「それから」「こゝろ」など
晩年の名作が生み出された。
また、「木曜会」と呼ばれるサロンとして使用され弟子や門弟の面倒を
見ていたのだという。
このように、功成り名を遂げた感のある漱石であったが、プライベートでは
心身の健康を著しく損なう状態が続き、ついに、この地で没する事となる。

雑司ヶ谷霊園(夏目漱石墓所)

夏目漱石墓所

雑司ヶ谷霊園の一画に夏目漱石は眠っている。
代表作「こゝろ」の舞台にもなった場所であるという。
墓石には「文献院古道漱石居士」の戒名と菊のデザインの家紋がある。


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